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花火ノート

オタク女の独りアーカイブ

最近考えていたこと

ロマン優光の『間違ったサブカルで「マウンティング」してくるすべてのクズどもに』を読みました。サブカル入門書ではなく、サブカルチャーがサブカルになって以降を取り巻く人物や状況、出来事をロマン優光ならではの視点でまとめたもの。本の冒頭や連載でも説明されているが、これがサブカルだ! と押しつけた内容ではなく、それぞれが考えるサブカルがあって、それを踏まえたうえで今回はこの定義で話しますという体裁を取っています。なので、取り上げられているジャンルがサブカルじゃない! といちいち文句を言うのはちょっと違う気もするわけです。「間違ったサブカルで~」は至極まっとうな本で、ここ最近のサブカル界隈で感じでいたモヤモヤを言語化してくれているし、大御所やベテランも女性も同じ目線で語られていることに感動しました。だってさ、どうしてもオタクやサブカルに係わる女性はスタート時点の段階で男性にマウントを取られている(または、そういうに見える)という設定で始まってるじゃない。ロマン優光さんはそのあたりを分かってくれているのがとても良い。6章『「女のマニアックな趣味は男の影響」という考え』の部分は頭を上下に振り回してしまうほど全文同意しかない。サブカルとオタクは密接に絡み合った文化で、だからこそ厄介なのだなと思った。さらに刺さったのは『最近の「映画秘宝」どうよ』の部分です。ちょっと引用します(181ページより)。

 

秘宝が扱う映画は一般的には女性が好まないとされている映画だったりするせいで、「どうせ、女にはわからない。」とか「女が喜んでいる映画は糞。」みたいなことを言いがちな人も多く、無自覚なミソジミーの空気がわりと漂っています。(中略)

オタク文化というのは男性オタクの文化と腐女子的な文化が並行して存在し、両社の交流があまりなかったので、男性社会が形成されやすく、女性にモテない人が現実として多いのでミソジミーが蔓延しやすいのですが、秘宝読者が形成する場も基本的に男性社会であり、モテない人が多いのは変わらないので、全く同じ問題が生じがちだと思うのです。

 

無自覚なミソジミー。ああ、長年心にひっかかっていた棘がぽろっと落ちていく感覚がありました。昔NHkBSで「BSマンガ夜話」という番組がありました。4夜連続で毎日ひとつの漫画作品を取り上げるトーク番組です。取り上げる作品は多岐にわたり、子どもだった私にとって初めて触れる作品も多く、生放送で展開される番組にちょっとハラハラしつつも録画してくりかえし見ていました。しかし、時々「あれ?何でそんなことをわざわざ言うの」と思える発言がありました。それは女性作者や少女まんがを取り上げる回に多かったのです。それは引用した部分に繋がります。少女まんがはレベルが低い、作画のレベルが低いという含みのある発言を笑いながらするんですよね。レギュラー陣が男性しかいなかったのもあり、「青年誌や少年誌だとこう描くけど」が前提になってるんです。別の曜日に来た女性ゲストの悪口を言ったこともあるし、そもそもゲストは純粋なファンなので、漫画のコマ割りやら技法を延々と語られても分からないし、好きなキャラやシーンの話をしたいはずで、そこに溝が出来てしまうのです。一番ひどかったと思うのは「鋼の錬金術師」の回で、掲載誌が月刊ガンガンだったから最初から読んでなかったといったのはまあいいです。しかし、「作者が女性とは知らなかったよ」と執拗に連呼していたのです。しかも「みんな知らないだろう~」と喜々としながら「女性なのにこんな面白いものが描けるなんてね」とも取れるニュアンスで。当然募集していたFAXや放送後のネットでは「知らなかった」で溢れていた記憶があります。私は知っていたので驚きはありませんでしたが、このころはまだ作者が性別を公表していなかったので(隠していたわけではないと思いますが)、意地悪だなと思いました。結局、この回でマンガ夜話は最終回を迎え……たと思ってたんですが、検索したらあいだを置いて復活して何度か放送していたのですね。知らなかったよ。のちに「セカイ系」に分類されるある作品を扱ったときにはデレデレになって熱く語りあっていたのに、少女まんがの時は笑いながら片手間に話すのだなと一人テレビの前で見ていました。真面目な討論番組ではない軽めのトーク番組のひとことを、ただの悪口としか捉えられないひねくれて斜にかまえた少女まんが読みの被害妄想でしかないのは分かってるよ。でも、率直に話してくれるのはいいけれど、節度とか配慮って必要でしょ。

 

私が一番印象に残っているのは少女漫画ではないのですが、「ベルセルク」でした。女性読者が多いという話になった時、出演者は驚きをかくさず「なぜ女性が読むのか分からない」「これは男性のために描かれたもの」「一人の男の成長物語のどの部分を女性は見ているのか」とわりと本気で話していて、それで出た結論が「主人公を母性でみている」ですからね。その気持ちで読んでいる人もいるかもしれないので、その結論自体は良いんだけど、女性全員がそれって感じでしたからね。話している人たちもあやふやで「そういうことにしたい、しておきたい」って流れでした。女に読まれるのはそんなに嫌なのかよ!! って思ってしまって、BSマンガ夜話を見てからというもの、私はベルセルクを読まずに生きてきました。しかし、今年の夏、白泉社で「電子書籍で期間限定14巻まで無料」という、太っ腹なキャンペーンを展開していました。PCだし、まあ1巻くらいならいいか……と魔が差して読み始めたら最後。2日間かけて14巻一気読みしました。PCって読みにくいと思っていたのに、そんなことはどこかにいってしまった。初めはとっつきにくい主人公だなと思っていたガッツがグリフィスと再会し、声を漏らさず涙をこらえる姿にズキューンときてしまい、黄金時代篇が始まったころにはもうページが止まらなかったね。超人気作品なので、あらすじは多少知っていましたが、やっぱり自分で体感するのはちがう。完成された画力とストーリーと構成と、本当にすごいとしか言いようがない。キャスカが嫌いな人を見かけるけど、私は結構好きです。だから「蝕」で彼女が贄になってしまうシーンは辛かったですね。ここも有名なエピソードなのもあり、知ってたけどマンガで見るのは初めてでした。すごい(それしか言えない)。それなりに生きているので、蝕のシーンは怖かったけれど衝撃は低かったのですが、それよりもグリフィスの股間ってどうなってるのか凝視している自分が嫌でした。

 

ベルセルクって超面白い! だけじゃだめだったのかな。男性がそのまま受け入れてもらえるけれど、女性が言ったら「(笑)」で済まされるのだろうか。などと、思いました。同じリング上でマウントを取ってくるのではなく、階段の一段上から偉そうにものを言ってくる感じがあったんですよ。向こう(男性オタク)は最初から同じ階層にこちらを置くつもりがなくて、それを無自覚に当たり前のような振る舞いをする感じ。そういえば、大昔の雑誌で黒夢清春が「女はライブに来るな」って言ってたな。何か思い出してしまった。しかし、そんなことはどうでも良くなるくらい、14巻の最後に収録されていた大学生のころに描いた作品の元になる習作の完成度が高すぎて度肝をぬかれました。すごい。

 

 

よしながふみ対談集「あのひととここだけのおしゃべり」でよしながふみが、少女まんがが正しく評論されていないことへの憤りや評論や感想自体がなければ作品そのものがなくなってしまうのではと危惧していて、その一環にマンガ夜話があったんじゃないかなと思います。対談の初出を見るかぎり年代的に見ていたのではと推測します。対談相手の三浦しをんもエッセイの中でマンガ夜話を視聴して怒っている話を書いているし、萩尾望都マンガ夜話の話題を出している。少年・青年まんがの評論はまんがの黎明期から現在まであると思いますが、少女まんがを真面目に評論した人や媒体って少ないですよね(無かったわけじゃないし増えてきましたが)。この本は少女漫画やBLが好きな人は楽しく読めると思います。特に「やおいは男同士でなくていい」「メディア化について」には目からウロコがバリバリ落ちました。少女まんが全体の話からやおいBLの話、具体的なタイトルを上げてどんどん加速するおしゃべり。対談集とともに、少女まんが・BL論の側面も兼ね備え、漫画家たちの作品作りを知ることができたり読み応えのある本。しかも、文庫録り下ろしの堺雅人がラストにさりげなく組み込まれており、全くの違和感なし。さわやかに一ジャンルとしてBLも語り分析している。これがすごい。あと堺さんが結婚前なのもあり、その前の羽海野チカとの対談が(…省略されました)。ただ、24年組の流れを汲む伝統ある少女漫画の後継者になるぞと力の入りすぎている、よしながふみもまた、少年まんがを雑に扱っている気がしました。彼女が同人誌を作っていた作品そのものへの情熱や敬意を感じられないんですね(コミックファンのインタビューでも同じ感じだったから、そういう意味では一貫しているが……)。少女まんががぞんざいに扱われて辛かったのに、興味がないジャンルには平気で同じことをしているように見える個所があって残念。結構お互い様な側面もあるのかもしれない。

 

 

この本で注目したいのは萩尾望都との対談。初っ端から「NANA」について話しているのだ。NANAを読むことができないおじさんたちについて、氷室冴子の見解を交えながら的確に指摘していく様は快感さえ覚えます。男性だから理解できない、で終わらせず、丁寧に紐解いていく。女だからとただ突き放すだけのサブカルおじさんたちとは全然見ているものが違います。この本の話ではありませんが、一条ゆかりよしながふみを知ったのはアシスタントが持ち込んだ同人誌で、うまい人がいるなと思っていたら商業誌に来たとぱふでのよしながふみ特集で寄稿しています。しかも、よしながふみの漫画家としての特徴や秀でている部分をみぬいていて、着眼点が違うんだなと思いました。大御所の女性漫画家たちはどんどん新しい漫画を取り入れながらも、一読者として楽しんでいるわけですね。

 

 

話は戻って、『間違ったサブカルで「マウンティング」してくるすべてのクズどもに』ではここ何年かの町山氏周辺と某博士の件を取り上げてくれていたのが嬉しかった。私はTBSラジオのウイークエンドシャッフル1年目からのリスナーでしたが、博士が登場はじめたころから去年まで全然聴かなくなっていました(たまにポッドキャストで特集は聴いていました)。軍団のノリをそのまま持ち込んだ図々しさが辛かった。大好きな場所を土足で踏み荒らされたような錯覚があったんです。だから、この本は代弁者になってくれたと思いました。そういえば、コア新書には愛読者シールが付いていて懐かしさを覚えました。

 

 

そんな感じで、誰かが「これ面白いよ」って言ったり書いたりしていたら、シンプルに素直に受けとりたいと思いました。