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花火ノート

オタク女の独りアーカイブ

本編を通しての「罪の華エンド」を考える

愛蔵版の感想は前回の記事でいったん終わりのつもりでしたが、書きたいことができたので書きました。

 

本編の流れから進む、選択肢の一つとしての「罪の華エンド」を考えてみました。ただの雑感なので、ななめ読みでよろしくお願いします(逃げ)。「罪の華」に関してはしばらく経つといろいろ考えてしまいます。

 

 

 

罪の華は闇に堕ちたほたると武将たちの愛憎劇を見ることができる個別ルートですが、本編からつながったストーリーなので、土台になる部分はどのキャラにも共通だと思うんです。武田の百足衆・ゲジメの登場で安土近辺で起きる問題とは別の第三勢力があると分かります。夢灯りでは紀伊や四国が登場するし、中国やその先の九州の話もありますし、ストーリーやほたるの行動範囲が安土のみだとしても、見えていないところでたくさんの人々が暮らし、信長の首を狙う勢力も存在しているわけです。伊賀以外のも忍びの里が点在し、術もあることが分かります(時雨や烈火も含めて)。信長の重臣も名前だけ登場する武将たちがいましたね。罪の華での信行は信長を狙う勢力の配下となります。個別ルートのかげに隠れた本編からのバッドエンドの顔もちょっとちらつかせているかなと思ったり。

 

下天の華は侵攻や防衛などの合戦がないしストーリーの時間経過もほぼないので、戦国時代の意味がないと思う方もいるかもしれません。しかし、安土と信長を守ることが任務である、ほたるの視点を通しての物語なので良いと思うんですね。合戦などの大掛かりなイベントが何度もエピソードで組まれたり、年単位で時間が進んでしまう等、物語の振れ幅が多くなると主人公は流される側になり脇役に転じる可能性が出てしまいます。ほたるが任務をこなし、武将たちと縁を深めることをメインに置くと、今の形に収まるのかなと思います。プレイヤーとほたるの持つ情報の幅をなるべく少なくしているのもこのゲームの上手いところです。なので、2周目からはちょこちょこセリフ変更や新たなシーンの差し込みがありますよね。でも、忍びとして知っておくべき知識が乏しかったり、さじ加減は難しそうですが。そして、ほたるの行動がストーリーの軸になっているので、彼女次第でストーリーの進む道も変わってくる。ほたるはプレイヤーですから。忍びで裏方で偽りの姫だけど、主人公はほたるですから。武将たちじゃない。

 

 

罪の華エンドもほたるが選んだ結末の一つにすぎなくて、堕ちてしまう瞬間までいくつかの関門があります。

・ほたるの心の迷いは大きいが、表面化していない

・夢を見ることは難しいことを一人で抱え込んでいる

・しかし、夢も見たいと思っている

・心の隙はほんのわずか

・ルートに入るか否かの、ほたるの行動(選択)は選べる

ほたるの心の迷いは元来の忍びである部分からくるもので、普段はあまり気にしていない感じがします。けれども、信長や武将たちとの交流でぐらつく不安定さがある。それを一人で抱え込んでいる状態で、罪の華から外れると百地に吐露する場面がありますね。忍びとしてしっかり修行してきたのでしょう。隙は少ないようです。「難しかった」とゲジメがこのあたりに触れますね。そして、ルートに入るまで何度も選択肢がでます。ほたる自身も迷っています。選択するのはプレイヤーです。罪の華ルートに入ると、幻術の作用もあり、ほたるは流されるがままに、考えることをやめてしまいます……。

 

見た後に「こんな話が見たかったわけじゃない」と思う方もいるかもしれません。特に蘭丸ルートは互いが純粋すぎたが故の結末でした。この作品では初めて主人公が死亡する結末であり、くのいちと武将の命をかけたやり取りともまた違い、全体を通しても特異です。下天の華は「ゲーム」であり、回想録の空きやトロフィーのコンプを気にする人、シークレットイベントを見たい人にとっては一度は見ないといけないルートになります。けれども、見なくてもいいのです。「嫌なら見るな」ではなく、「選択しなくてもいい」ということです。目当てのキャラ、好きな声優が担当したキャラしか攻略しない方もいると聞きます。それと同じです。もちろん、見たけど好みに合わなかったとか苦手だったというのは感想なので、全然OKなわけなんですけど。ダメそうなら最初から選択しないのもありなんじゃないかなと思うんですよ。安土の運命を握っているのは(実のところ)ほたるですが、ほたるをどうしてあげたいかはプレイヤーにゆだねられているのです。「罪の華」に進めなくてもいいのです。マルチエンドなんだから当たり前だろ、公式が用意したエンディングだからすべて正史と言われたらぐうの音も出ないんですけど。

 

 

結局は「ほたる」をどう捉えているかにもよると思います。私は下天シリーズの主人公として1人のキャラクターとして見ています。もちろん、彼女を通してストーリーを進めるので共感したり一緒に涙したり照れたりしていますが、あくまでも第3者視点で、自己投影はしていないです。罪の華はかなりえぐめできつい表現も多かったので、プレイヤーごとに感想も変わりそうですね。

 

作家の上橋菜穂子先生が著書で「十あるうちの全部書いちゃうと十で終わっちゃうでしょう。でも、八で止めておけば、そこから読者の想像力で十五ぐらいまで広げてもらえるかもしれない」と仰っていて、私の中で下天の華はこれにあたるのかもしれないと思います。「罪の華」は内容的にCEROが上がってもおかしくなかったと思うんです。えぐいなと感じられる場面、想像をかき立てるきわどいセリフがいくつもありました。スチルを使うシーンや見せ方を選び、表現やセリフなど細部まで行き届いた結果が、下天の「罪の華」として完成したんじゃないかなと勝手に想像します。

 

 

 

今思っていることはこのくらいなので、ここまで。何か信者っぽく思われそうな文章になったな……。